三上さん@3UP、Z33を購入してからというもの、落ち着きがない。
月末の伝票処理に追われているときに着信。
見なくてもオーラでわかる、三上さんだ。
そして100パーセント、Z33の話。
待ちきれなくて届いたメッセージはやはりZの件。
マフラーとエキマニ、制作データがあると伝えたところ、試作決定。
もちろん、パンク状態なのでいつ完成するかわかりませんが…
翌日も電話、今度はブレーキパッドの件。
ちょうど良いパッドが無いという。
ドリフトにはサーキット用とストリート用の中間が必要になるとのこと。
関西が本社の有名ブレーキ専門メーカーにそれらしきものを発見して紹介。
その後、届いた画像を見るとどうやら切れ角アップにも成功。
LSD、ファイナルギアまでさっそく交換。
特殊な車高調とアームはこれから共同開発することで決定。
以前からZ33には興味を持っていた三上さん。
「自分が乗って楽しめるものという意味では”今”はZ33ですねえ(意味深)」
Z33は発売当初こそ騒がれたものの、その後、発売終了時までスポーツシーンでの活躍が少なかったクルマ。
ラグジュアリーカーという認識で終わった印象。
NAであること、大きなエンジン、2シーター、ネガティブな部分ばかりが注目されていました。
けれど、ピュアスポーツのみが名車というのは日本市場では当てはまりません。
その最たるものがトヨタカローラ、AE86。
歴史に残るスポーツカーとなったのは性能が高かったからではありません。
お手軽価格の新車や中古車が豊富に出回る事で、ユーザーが増えればチューニングパーツも増える。
そのうえ登場したマンガが大ヒットするという追い風。
純粋な性能だけでなく、様々な要素と偶然が重なり生まれるのが名車だと個人的に思っています。
パワーが少ないからこそチューニング効果が体感できて楽しい。
そして手ごろな価格とチューニングがしやすいクルマであったことが大きく影響したと思っています。
手の届かない超ハイパワースポーツには憧れます。
でも少なくとも日本では多くの名車は憧れよりも”親しまれてきた”クルマ。
多くの人たちが実際に手に触れて、運転を楽しんだクルマであること。
そして、名車にとって必要不可欠な存在。
それはパーツメーカー。
本日はイーカスタムさんとファインさんを訪問。
日本よりもバンコクで会うことのほうが多かった二人(笑)。
日本で直接顔を合わすのは5年ぶり。
初めての新社屋訪問。
その圧倒的な在庫量にビックリ。
「新しいクルマが発売されるたびに、僕たちが対応すべきクルマはどんどん増えますからね」
ハコスカの時代から50年あまり、パーツが必要なクルマは年々増える一方。
特に旧車、稀少車、絶版車を対応するファインさんは在庫が増える一方。
こういうメーカーの存在が無ければ、古いクルマは動かすことすらできなくなります。
その後、お互い仕事を依頼している真空整形工場に。
発売中の外装に続き、ND5RCロードスター用の内装が完成。
スポーツカーを長く愉しむためには、ショップ&メーカーの存在は大切。
せっかく購入しても、パーツ開発してくれるメーカーがいなければ愉しみは激減。
名車となるうえで、多くのパーツが存在していることも重要。
本日のランチはファインさんから5分の「信濃路(しなのじ)」さん本店。
46年前、当社の初代営業マンだったカワイ製作所の川居代表と、当社の創業者が通っていたお店。
キノクニエンタープライズさんと取引を始めた直後に開店。
カワイ製作所、キノクニ、当社は50年近く続く会社同士。
信濃路さんも今や海外にもチェーン展開するグループ企業に成長。
代表を務める2代目社長は、イーカスタムさんと私が青年会議所時代に互いに仕事をした間柄。
約17年前、知り合う前のイーカスタムさんと私は和歌山の地区大会というイベント開催で西平代表のサポート役。
この大会時には他人同士だったイーカスタムさんと、今ここで食事。
そして46年前には、ここで川居相談役と当社代表が食事していました。
本日、ファインさんの近所にあったからというのがここで食事をした理由。
人生とは不思議なもので、どこで何が起きるかわからないもの。
Z33はこれからどんな運命をたどるのでしょうか。
なんだかワクワクします。